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サンペドロ・デ・マコリス市と友好都市交流宣言を共同採択

印刷用ページを表示する更新日:2026年10月6日更新

締結

令和8年11月10日付でサンペドロ・デ・マコリス市(ドミニカ共和国)と北広島町は友好都市交流宣言を共同採択しました。

共同採択にさきがけ、10月6日には両自治体をオンラインでつなぎ、サンペドロ・デ・マコリス市のレイムンド・オルティス・ディアス市長と箕野町長で友好都市交流宣言文書に調印を行いました。

友好都市交流宣言の内容

協定書

 

友好都市交流宣言

日本国広島県山県郡北広島町とドミニカ共和国サンペドロ・デ・マコリス市は、これまで広島東洋カープを通じて育んだ両自治体間の友好関係をここに確認し、発展させる意思を表明する。

両者は、相互尊重及び対等の精神に基づき、スポーツ、文化、芸術その他の分野における交流及び協力を通じて、住民相互の理解の促進及び相互の発展に寄与することを目指す。

本宣言は、双方の友好及び協力の意思を表明するものであり、法的拘束力を有するものではないことを了承する。

2026年11月10日

北広島町長 箕野博司
サンペドロ・デ・マコリス市長 レイムンド・オルティス・ディアス

日本語版スペイン語版

友好都市交流の経緯

これまで、北広島町とドミニカ共和国は、各大使館や広島東洋カープの温かいご支援のもと、東京2020オリンピック・パラリンピックにおけるホストタウン事業や、大阪・関西万博の国際交流プログラムなどを通じて絆を紡いできました。

これまで積み重ねてきた国際交流をより継続的なものとし、まちの未来を担う子どもたちをはじめとする住民の国際感覚の涵養や、多様な文化を理解する共生社会の実現を目指し、このたびサンペドロ・デ・マコリス市と友好都市交流宣言を共同採択することとなりました。

▶これまでのドミニカ共和国との交流(ホストタウン事業など)について

サンペドロ・デ・マコリス市の概要

​サンペドロ・デ・マコリス市(San Pedro de Macorís)は、首都サント・ドミンゴ(Santo Domingo)の東約70㎞に位置する中規模都市で、豊かな歴史と多様な文化を併せ持つ都市です。​カリブ海に面し、ヒグアモ川の河口周辺に発展した都市で、製糖産業の歴史と多文化共生の伝統を現在に伝えています。

【面積】約146.7km²
【人口】217,523人(2022年時点)
【産業】製造業・観光業

▶サンペドロ・デ・マコリス市公式サイト<外部リンク>

人口規模に対してメジャーリーガー(サミー・ソーサ氏、フェルナンド・タティス氏など)を多く輩出、広島東洋カープのアカデミー施設も所在しており、「港湾と砂糖と野球の都市」とも言われています。

歴史と近代化の歩み

街の歴史は、19世紀初頭、ヒグアモ川の河口付近に人々が移り住み、集落が形成されたことに始まります。1858年には、守護聖人である聖ペテロにちなんで、現在の「サンペドロ・デ・マコリス」という名称が生まれたとされています。

19世紀後半には製糖産業が急速に発展し、1879年には国内初の機械式製糖工場とされる「アンヘリーナ」が操業を開始しました。製糖業の発展と港湾貿易の拡大によって、国内有数の経済・文化の中心地へと成長しました。

また、1879年には国内初とされる消防団が組織されるなど、先進的な技術や都市機能をいち早く取り入れたことでも知られています。街には「サンペドロ・アポストル大聖堂」や、かつてオペラも上演された「コロン劇場」など、当時の繁栄を伝える歴史的建築物が残されています。

▶ドミニカ共和国政府観光局「サンペドロ・アポストル大聖堂」<外部リンク>

多様な移民と独自の文化

製糖産業の隆盛に伴い、キューバ、プエルトリコ、ハイチ、英領カリブ諸島、ヨーロッパ、中東など、さまざまな地域から人々が移り住みました。

特に英領カリブ諸島からの移民とその子孫は「ココロス(Cocolos)」と呼ばれ、独自の文化を育んできました。アフリカ由来の音楽や舞踊と、ヨーロッパの演劇的要素が融合した「グロヤス(Los Guloyas)」の伝統は、2008年にユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に登録され、現在も地域の貴重な文化遺産として受け継がれています。

また、野球との関わりも深く、19世紀後半にキューバから野球が伝えられたとされるなど、ドミニカ共和国の野球文化を語るうえで重要な都市の一つです。

文学の分野でも、国民的詩人ペドロ・ミルやガストン・フェルナンド・デリニをはじめ、多くの文人や知識人を輩出してきました。

▶ユネスコ無形文化遺産「Cocolo Dancing Drama Tradition/Guloya's Coming」<外部リンク>

現代の産業と都市機能

20世紀前半の製糖産業の衰退を経て、1970年には東部中央大学(UCE)が創立され、高等教育の拠点としての役割が強まりました。その後、輸出加工区(フリーゾーン)の発展などを通じて、産業の多角化が進められてきました。

現在は、製造業、商業、教育、サービス業など、多様な都市機能を備えたドミニカ共和国東部の主要都市の一つとして発展を続けています。