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田楽団・サンバイ(音頭取り)・早乙女・田植歌・囃し手・その他の役目

印刷用ページを表示する更新日:2018年4月1日更新

田楽団

手踊りのついた道行〈原東大花田植・志路原〉 花田植で歌・楽・田植を担っているのは、地域の人たちです。以前は、実際に田の仕事をしている人が大半でしたが、現在は農業の形も大きく変化したため、手作業で田植をすることはほとんどなく、日常の田植で囃しを行うこともありません。
 そのため、地域で組織された田楽団や保存会が、囃しや歌の継承を行っており、子ども田楽の指導や、体験者の対応にもあたっています。
 田楽団などが組織される以前は、腕に覚えのある人が、あちこちの花田植にその技を披露しに出かけたといいます。今では皆の動きが揃う美しさがありますが、昔は有名な囃し手・歌い手の存在があったのかもしれません。
 衣装等の準備を終えた人々は、道行をして会場となる田へ向かいます。この時、ただ歩くだけではなく、囃しや歌、場合によっては舞のような所作がつけられることもあります。

田楽団の道行/田楽競演大会

 

サンバイ(音頭取り)

〈原東大花田植・志路原〉 音頭取りのことを田の神と同じく「サンバイ」、音頭取りが拍子を取るのに使うササラを「サンバイ竹」と呼ぶのは、祭を取り仕切る神主のような、重要な役割だからだと考えられます。この役は、古くは「歌大工」「田歌師」「三番叟」などとも呼ばれていたようです。
 サンバイには、歌をよく知る上手な人が選ばれました。その音頭で囃しが始まり、それに合わせて早乙女たちが歌いながら田植をします。
 昔の花田植は朝早くから夕方暗くなるまで行われました。時に合った歌を選び、また早乙女や囃しの様子を見ながら色歌・酒歌などを交えて疲れを軽くさせる工夫も、サンバイの腕の見せ所でした。
 反対にサンバイが歌を間違えたら、早乙女や囃し手とは違って斜めに掛けている襷を、早乙女と同じに直して早乙女の列に加わらないといけないとか、早乙女が田植をやめて帰ってしまってもよいとかいう話も残っています。

ササラ

 

早乙女

壬生田楽団の早乙女 花田植で苗を植える女性たちのことを早乙女といいます。この「早乙女」は花田植に限らず各地に見られる名称で、多くは田に関する神事や祭で田植をする女性のことを指します。ただ作業として田植をするだけでなく、神に関わる巫女のような役目であるといえます。
 花田植では、サンバイの歌う親歌について、子歌と呼ばれるパートを歌いながら田植を進めます。
 現在、町内の早乙女たちは、田楽団ごとに揃いの衣装を身につけていますが、昔はあちこちから早乙女が出たこともあり、思い思いの着物を着て、田植をしたといいます。
 花田植の日に合わせて機を織り着物を仕立てて参加する人もいて、着物が汚れるとわざわざ着替えることもあったようです。
 また、年頃の娘や新しくやって来た嫁を披露する場所にもなっていました。

早乙女/昔の衣装

 

田植歌

 田植歌には、「四万八声」「八万八声」などと言われるほどたくさんの数があります。古くから伝えられたものに、他地域から習ったものや新しく作られたものが加わった結果、これほどの数になったようです。
 芸北地方の「囃し田」が全国に知られるようになったのは、大正期に「田植草紙」の歌が紹介されたことに始まります。以降、田植歌は盛んに研究されました。
 芸北地方の花田植系の行事で歌われる歌は、「オロシ形式」と言われる特徴をもっています。基本的な歌の形として「親歌・子歌」「ユリ(歌・調子)」「オロシ(サゴエともいう)」という基本形が存在します。これらを組み合わせて、音頭取りのサンバイが歌い、続いて早乙女が歌う方法で、進められます。一つの歌を何度かずつ反復し、数曲歌ったところで「腰」という休憩を入れ、早乙女たちは、屈んで田植をする姿勢を直し、腰を伸ばします。
  田植歌は、早朝から昼食までの朝歌、そこから昼過ぎのお茶までの昼歌、さらに夕方までの晩歌と分かれ、それぞれさらに一番から四番までに分れます。
 たくさんの歌の中には、「サンバイを下ろす」「苗取り」「田主を褒める」「オナリ送り」など行事の内容に関係するもの・男女や恋愛のことを歌った色歌(恋歌)・歴史や各地の名勝を歌った歌・風物を歌った歌など様々なものがあります。
 ある時期を境に、色歌は良くないものとしてほとんど歌われなくなりましたが、面白い歌で疲れを癒すとともに、田植関係の行事によく見られる、「多産=豊作」という発想に通じる祈願的な意味も込められていたものと考えられます。
 現在歌われているものは、数多くの歌の中から選ばれ継承されてきたものです。

田植歌の例

 

囃し手

〈壬生の花田植・壬生〉 囃しは、大太鼓・小太鼓・笛・手打鉦の四種類の楽器で構成されています。小太鼓と手打鉦はサンバイのササラに合わせて拍子をとり続け、笛は歌の旋律を奏でます。他の楽器に比べて人数の多い大太鼓は「ツヅミ」「胴」とも呼ばれ、腰につけた太鼓を馬の白い毛の房がついたバチで打ちます。昔は近隣から大太鼓を打つ人が集まり、時には早乙女の数を上回ることもあったそうです。
 囃しには打ち方の種類があり、歌によって決まっています。サンバイの拍子の始まりを聞いて、囃し手達はその歌に合った打ち方をします、拍子ごとに大太鼓が毛房拍子を回したり投げ上げたりする所作も決まっています。
 田植歌に「一に太鼓・二に笛・三にささら・四拍子」というものがあり、この順に楽器を覚えて行くのだとも言います。人数が少ないため一見目立ちませんが、小太鼓・手打鉦による拍子の重要さが伝わります。

囃し手の楽器

 

その他の役目

エブリ〈大花田植・大朝〉 花田植を支える役として、牛が掻いた田を均す「エブリ(エブリツキ)」、早乙女達に苗を配る「苗持ち(苗運び)」、苗を植える目印となる位置に心綱(田植綱)を張る「綱引き」などがあります。
 これらに加え以前は「オナリ」という食事を運ぶ役目の女性たちがいたといいますが、現在では田植の時間が短いため、例え食べ物を配ることがあっても、この役は設けられていません。
 日本各地の田植に関する行事の中にもオナリのような役は存在しており、「ひるまもち」などとも呼ばれています。中には「田主の娘」とか、「嫁入り前の娘」とか、役につく人を限定する場合もあります。ただの炊事係というよりは、神への供物を作って運ぶ神聖な役柄であるためと考えられます。
 また、田楽団や保存会という組織が作られてからのものと思われますが、道行きの前後に草履を管理する役や、田楽団の旗を持つ役もあります。

田植の道具