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きたひろエコ・ミュージアム 平成30年6月

印刷用ページを表示する更新日:2018年7月6日更新

ふるさとの味 チシャもみ

今年度の「きたひろエコミュージアム」の「くらしと伝承」では,北広島町の郷土料理を取り上げます。

チシャもみの写真

北広島町は,中国山地の中山間地にある町です。海からは遠く離れ,雪も結構多いところです。かつては,コメ作りを中心とした農家がほとんどでした。北広島町では,そうした地理,気候あるいは産業の中で食文化が発達しました。もっとも,北広島町だけの郷土料理というものはないので,郷土と言っても,広島県や中国地方にまで広がることがあります。

さて第一回目の郷土料理は,「チシャもみ」です。チシャは,昔はどこの家でも農家の庭先によく植えられていました。チシャは,別名カキチシャといって,下の葉から一枚ずつ「かく」つまり,一枚ずつはがすように千切りとっていました。チシャは,もともとは日本にはなかったもので,外国から入ってきました。江戸時代の中ごろ,千代田の医者,小田好道(おだこうどう)という人が,天明元年(1781)に書いた『山県草木志(やまがたそうもくし)』という本があります。

書籍山県草木志の写真
「山県草木志」(編集・発行 広島市立中央図書館)
北広島町図書館にも所蔵しています。


その中に,

「 萵苣(かきょ)

 和名ちさ 此物をけしあさミ なかちさ やふちさと諸説紛はしけれと 篤信ちさとちさとする説是也 本草を詳かにするに圃生の者にして野生にあらす 一種きしのをと云ハ葉長く末尖れり 一種紫ちさ有 此品種々の功用あり 」
「山県草木志」(編集・発行 広島市立中央図書館)35頁より引用

 

と書かれています。つまり,ここからわかることは,

1. チシャは,北広島では江戸時代の中ごろから畑で栽培していたということ。
2. そのころは,チシャといわずに,チサと呼んでいたこと。
3. チシャは緑色のものが主でしたが,中に紫色のものや,葉の先のとがった種類のものもあったということ。

などです。

チシャは,独特のやや苦味があるので,最近は,だんだん作られることが少なくなりましたが,逆にあの風味が好きだという人もおられます。

ちしゃなどの比較写真

この写真は,豊平で,チシャを作っておられる方の畑を,撮影させてもらいました。ここには,チシャとその仲間が写っています。手前に写っている背の低いものがサニーレタス。左奥のやや背の高いのは,韓国の焼肉料理で肉を包んで一緒に食べるサンチュです。サンチュによく似ていますが,右のやや背の低いものがチシャです。これは,紫色のものです。

山口県生まれの放浪の詩人に,種田山頭火がいます。山頭火もチシャモミが大好きだったようで

 

「ふるさとは  ちしゃもみがうまい  ふるさとにゐる」

 

という俳句に詠んでいます。ということは,チシャモミは,広島県だけでなく,山口県でも郷土料理だったようです。