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きたひろエコ・ミュージアム 平成30年12月

印刷用ページを表示する更新日:2019年1月23日更新

ふるさとの味 角寿司

 今回は、「角寿司」とか「押し寿司」、あるいは「田舎寿司」とよばれる郷土料理の寿司を紹介します。いろいろな言い方があって混乱しますので、ここでは「角寿司」と呼ぶことにします。
 この地方の「角寿司」は木で作られた型枠に入れて、型枠から押し出して作ります。こうすると6~8個、同じものが同時にでき上がります。出来上がりが、四角い形をしていることから「角寿司」と呼ばれるようになりました。

角寿司を作っている様子

 昔、お寿司は大変なごちそうでした。祭りのときとか、お客さんのあるとき、何かおめでたい時など、ようするにハレの日には必ずと言っていいほど、角寿司を作ってお客さんにふるまいました。それも作るときはかなり多めに作って、隣近所にも木箱に入れて配って歩きました。
 この地方の角寿司の特徴は、「上置き」と呼ばれる上部の飾りと、「中具」と呼ばれる中に入れるアンコがあることです。
 「上置き」は、しめ鯖、焼き卵、椎茸、香茸、山椒の葉、ニンジンの葉、干しエビ、寿司の花と呼ばれるデンプン粉などが2~3種類、赤、緑、黄色など色鮮やかに並べられて食欲をそそりました。
 「中具」というのは、外からは目に見えないアンコ部分です。ここには、人参や椎茸、ゴボウや豆などを、やや辛めに煮たものを入れます。寿司飯の味だけだったところに、とつぜん濃厚な煮物の味が広がる仕掛けになっています。

 ところで寿司の上に乗せる鯖ですが、当時、こうした魚類は、女性行商人によって日本海側から運ばれてきました。

書籍 峠を越えた魚の表紙
『峠をこえた魚』 (著者:神崎宣武 出版社:福音館書店)
※版元品切中

 ここに、神崎宣武(かんざきのりたけ)氏の書いた『峠をこえた魚(いお)』という本があります。(昭和60年発行)「いお」と言うのは、島根の方言で「魚(うお)」つまり「魚(さかな)」のことです。
 これを読みますと、島根県の浜田や江津から、女性の行商人が、塩漬けされた鯖や干し魚、若芽(ワカメ)などを背中に負ってこの中国山地各地を売り歩いていた様子が詳しく書かれています。
 魚の取引は、かつては「掛け売り」と言って、品物をおいて、後日集金する方法がよく取られました。またさらにそれ以前は、支払は現金ではなく、米で払うことも多かったようです。簡単に言えば、魚と米との物々交換をしていたようです。
 この本に次のような記述があります。ある女性行商人の思い出話です。これは、おそらく大正時代のことだと思います。


[前略] 「わたしの若い時分、いまからもう四〇年も前のことになりますよね。そのころは鯖一本の仕入れが二銭から三銭、小売が五銭がいいとこでした。米一升(一.八リットル)が九銭、小米(精米したときにくだけた米)一升四銭五厘ですけえね、鯖一本で米なら五、六合、小米なら一升とかえるんですよね。それで米をまたもち帰って浜で売れば米一升が十二、三銭にもなりますけえね、まあ、わたしらの一日の稼ぎとしたら、悪くもなかったと思います。それを、鯖稼ぎというたもんです」 [後略]
『峠をこえた魚』 (神崎宣武著 福音館書店) 154頁より引用

 

 この計算ですと、鯖を二本か三本売れば、米一升分くらいのもうけが出たことになります。
 しかし、はるばる浜田や江津からバスに乗って来て、こちらのバス停で降りて、一軒一軒売り歩くわけです。今で言えば、訪問販売ですが、重い荷物を背負って歩くのは、女性にはかなりの重労働だったでしょう。また、天候の悪い時も、思うように売れない時もあったことでしょう。
 しかし、こうした女性行商人たちの苦労のおかげで、中国山地に住む私たちも、魚を食べることが出来ました。といってももちろん生魚ではなく、干物や、塩鯖や塩万作が中心でした。
 ただこうした行商人も、交通事情がよくなり、また冷凍保存技術が向上すると、次第に姿を消していきました。

角寿司の画像
 こうしてみると、こんな小さな角寿司ですが、この中には、ここらあたりの歴史や伝統、風習が、いっぱい詰まっているような気がしてきます。


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