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令和4年度 きたひろの街道をゆく

印刷用ページを表示する更新日:2022年6月24日更新

今年から、北広島町が「ちゅピCOM」の仲間入りさせてもらうことになりましたので、北広島町内の観光スポットやおすすめ場所を多くの方に紹介したいと思います。

 

大暮 清流の家&中国製鉄跡地

清流の家 外観 清流の家 内装

北広島町の大暮、「清流の家」に来ています。ここは、元小学校の建物でしたが、現在は、キャンプなどの野外活動施設として多くの人たちに利用されています。
この木造校舎は、昭和27年に建てられていますから、今年で築70年にもなりますが、まだまだしっかりとした建物です。
中に入りますと、廊下、天井などは新しく張り替えられていますが、昔の学校の面影をそのまま残している郷愁感あふれる建物になっています。
家族やグループでのキャンプや野外活動にぜひご利用ください。
連絡先は、清流の家(阿佐山地域振興協議会)
〒731-2204 広島県山県郡北広島町大暮590
Tel & Fax:0826-38-0888 E-Mail:master@seiryu.info

です。 

さて今日は、ここから少し先にある地元の人が『溶鉱炉跡』といっている場所に行ってみようと思います。では出発します。

溶鉱炉跡 レンガ煙突 中国製鉄大暮工場 大正時代

ここが『溶鉱炉跡』です。高いレンガ煙突が一本だけ残っています。
これは何かといいますと、その説明する前にもう一枚の古い写真を見てください。これは大正年間にこの場所を写した写真です。ここに二本の煙突が写っていますが、この写真の右側の煙突がこの煙突です。日本の近代化遺産として大切に保存されています。
さて、改めて、これは何の建物かといいますと、これは『中国製鉄大暮工場』のあった場所です。つまり、大正時代にここで鉄を作っていました。
日本古来の製鉄「たたら製鉄」は江戸時代から明治の初めころまで続きますが、明治に入ると、洋式製鉄に押されてたたら製鉄の火は急速に消えてしまいます。
江戸時代、郡内各地でたたら製鉄が盛んに行われていたころ、大鍛冶屋のあった近くには不純物が多くて商品にならなかった鉄滓(てっさい)とか金糞(かなくそ)と呼ばれる鉄くずが山のように捨てられていました。江戸時代の技術ではそれ以上は鉄を取り出すことができませんでしたが、そこにはまだまだ大量の鉄分を含んでいました。つまり、今でいう鉄鉱石だったわけです。
大正時代になって、江戸時代には捨てるしかなかった鉄滓を集めて、それから鉄を取り出す技術が開発されます。そうやって鉄を作っていたのが、ここ中国製鉄大暮工場です。ここでは「大暮木炭銑」というブランド名の大変に良質の鉄を作っていました。
これは言うならば究極のリサイクルです。また別の言い方をすれば、日本古来のたたら製鉄と、外国の新しい洋式製鉄の、ちょうどその端境期(はざかいき)に、ぱっと花開いて散った製鉄でした。
ぜひ皆さんもここ大暮を訪れてください。このすぐ近くには、大暮養魚場もあり、そこでは釣り堀りを楽しむことも出来ます。
ここ大暮に来るには、国道186号線を北上します。芸北地域の細見で右折してください。そこから5分ほど進むと左に宮瀬神社が見えます。そこを左折してください。5分ほどで、先ほどのスタート地点の『清流の家』に着きます。

戦国の庭歴史館

戦国の庭歴史館に来ました。許可をもらっているので中に入らせてもらいます。
中に入りますと、中世、ここに住んで居た吉川元春、それから子供の元長、広家の時代の人々の暮らしぶりの分かる展示物があります。

当時のトイレ
出典:「いぶき 中世のひろしま」 No.11 広島県教育委員会

この大きな桶のようなものは、ここから出土したトイレです。(写真は出土したときの状況。現在はきれいにして中に展示してある。)
このトイレの中の土を分析することによって、当時の人たちが食べていたものが推定されます。ここに当時の料理の一部が再現されています。イネ、ソバ、ヒエ、川魚、ウリ、ナス、ウメ、動物の肉などを食べていたようです。

こけら経の版木
出典:「いぶき 中世のひろしま」 No.16 広島県教育委員会

それからこの近くの万徳院跡から出土したこけら経とよばれる版木です。版木というのは、お経の文字を彫って印刷するためのものです。そのため文字は左右逆に彫られています。ヤマザクラ材が使われています。ここに彫られているのは法華経です。

木の札
出典:「いぶき 中世のひろしま」 No.12 広島県教育委員会
それからこれは木の札です。こうした木の札もたくさん出ています。ここには文字が書かれていますが、表には「きゝやうすほ一ツ」とかかれています。裏には「かゝいさまへ」と書かれています。桔梗の花を乾かしたものは、風邪によく効く薬草だったようです。「すほ」というのは、「すぼ」と読みますが、藁で包んだものをいいます。「かゝいさまへ」というのは「お母様へ」という意味です。つまり、誰かは分かりませんが、お母様に、風邪薬を藁でラッピングして贈ったもののようです。

蠅叩き
提供:戦国の庭歴史館

またこれは、「為蝿打ンガ造之者也」(蝿を打たんがためにこれを作るもの也)と書かれています。
蝿叩きです。これで蝿を打ち落としたり、追い払ったりしたのでしょうか。しかし、使う目的を墨書した理由はよく分かりません。こう書くことがある種のおまじないとしての役割をはたしていのかもしれません。

吉川元春館跡 ジオラマ
これは前回も紹介した、この建物群全体のジオラマです。
もっとも戦国時代ですから、吉川元春も、その子供の元長も広家も、日々戦いに明け暮れていました。
元春も、元長も、九州に遠征に行きその遠征先で亡くなっていますし、広家に至っては朝鮮半島や関ケ原にも出陣しています。ですから、ここの建物で落ち着いた生活をしていたというわけではありません。
是非皆さんも、前回紹介した、吉川元春館跡とセットで、この戦国の庭歴史館を訪れてみてくださぃ。
ここに来るには、千代田インターで下りて、国道を大朝方面に向かってください。車で5分を進んだところに、蔵迫という四つ角があります。そこを左折してください。そこからまた5分ほどでここに着きます。

吉川元春館跡

吉川元春像
     吉川元春像(新庄小学校蔵)

北広島町海応寺にある吉川元春館跡です。ここは国の史跡になっています。
吉川元春というのは、有名な戦国武将の毛利元就の次男です。長男の毛利隆元、それから弟の小早川隆景と共に、「三矢の教え」でよく知られた方です。毛利家から、吉川家に養子として入り、吉川元春を名乗ります。

石垣
出典:「いぶき 中世のひろしま」No.24 広島県教育委員会

最初に出迎えてくれるのが、この豪快な石垣です。高さ3m、幅は100m近くあります。この石垣は、独特の築き方がしてあります。鏡石と言われる大きな石を縦にして、だいたい等間隔にならべ、その間を横に石を積み上げていきます。

土の中の石垣1 土の中の石垣2
出典:「いぶき 中世のひろしま」No.24 広島県教育委員会
さらに実は表面からは見えないのですが、この裏の土の中にも、石が築いてあって、大変に頑丈に出来ています。そのため、この建物が出来てから500年くらい経ちますが、全くびくともしていない頑丈な作りになっています。
これを築いたのは「石築きの者ども」と言われた石垣作りの専門集団によるもので、この近くにも、それから厳島神社にもこれと同じ方法で築かれた石垣があります。

吉川元春館跡 現在 吉川元春館跡 ジオラマ
出典:北広島町ホームページ
上は御覧のような広い公園になっています。
このままではわかりにくいので、吉川元春屋敷跡の復元したジオラマを見てください。
ここには、このように大きな建物がたくさん作られていて、大勢の人たちが出入りしていました。
現在は、左端にあった台所だけが、復元されています。
この近くには、吉川元春の墓所や「戦国の庭歴史館」という資料館もあります。ぜひ一度訪れてください。

ここに来るには、千代田インターで下りて、国道を大朝方面に向かってくださぃ。車で5分ほど進んだところに、蔵迫という四つ角があります。そこを左折すれば5分ほどでここに着きます。

八幡と牧野富太郎博士とカキツバタ

牧野富太郎
提供:高知県立牧野植物園

今回は、北広島町の八幡です。
八幡は県内有数の豪雪地帯ですが、珍しい植物や動物にめぐまれた自然の宝庫でもあります。
ここを、世界的な植物学者の牧野富太郎博士が何度か訪れています。
特に昭和8年6月4日に来られた時には、おりしも満開に咲くカキツバタに感激して、土手に座り込み、最初はハンカチを、次には自ら着ておられたシャツの前面を紫色に染めて喜ばれたというエピソードが残っています。またその場で俳句も詠まれています。
博士は、そのときのことをご自身の書かれた本の中にも書かれています。

牧野富太郎 絵 (画:入澤良枝)
『植物知識』より抜粋。
今からおよそ十年余りも前に、広島県安芸の国の北境なる八幡村で、広さ数百メートルにわたるカキツバタの野生群落に出逢い、折ふし六月で、花が一面に満開して壮観を極め、大いに興を催し、さっそくたくさんな花を摘んで、その紫汁でハンケチを染め、また白シャツに摺り付けてみたら、たちまち美麗に染まって、大いに喜んだことがあった。その時、興に乗じて左の拙句を吐いてみた。

衣に摺りし昔の里かかきつばた

上田郷 現在 上田郷 昭和初期
牧野博士が、土手に座り込んで、シャツを紫色に染めたと言われている場所がここらあたりです。地元では上田郷と呼ばれている所です。
現在は、ご覧のように全て水田や畑になっていますが、博士が来られた昭和初期には、この上田郷一面に、カキツバタが満開に咲いていました。
右の写真は博士が来られた昭和初期の上田郷の様子です。
これらのカキツバタは人が植えたのではなく、全て自生で群生していました。

石碑
八幡千町原に、その時に牧野博士が作られた俳句、それを博士ご自身が揮毫された文字をもとに作られた石碑があります。「衣にすりし 昔の里か燕子花 牧野結網 昭和八年六月四日芸州八幡村かきつばた自生地にて」と書かれています。
石碑の前に植えられているササは、牧野博士の奥さんの壽恵(スエ)さんが亡くなられた時に、そのころに発見された新種の笹に、奥さんの名前を付けられた「スエコザサ」です。

カキツバタ畑
この近くに、カキツバタ畑があります。これは、地元の人と、八幡の自然を愛する人たちが協力して、牧野博士が来られたころのカキツバタを再現しようと、「カキツバタの里づくり」という取り組みが始まり、もう20年以上続いています。また牧野博士の故郷に近い、高知県越知町との交流も続いています。今年も博士の来られた6月4日に、カキツバタ祭りが開催される予定です。
ぜひ、6月のカキツバタが満開の頃、八幡を訪れてください。

古保利薬師

古保利薬師 地図 古保利薬師 山門
出典:国土地理院ウェブサイト
※この地図は国土地理院発行の電子地形図(タイル)を加工したものである。

今回は、千代田インターのすぐ近くにある古保利薬師を訪ねます。
ここは車で登ることもできますが、今回は麓の駐車場から歩いて登ります。
苔むした階段を上ると、山門に着きました。辺りは森閑とした空気に包まれています。下の駐車場から5分ほどで山門の仁王像が迎えてくれます。
古保利薬師の前身は、平安時代、この地にあった福光寺(ふっこうじ)という寺ですが、その寺は残っていません。現在は、コンクリートでできた収蔵庫があるだけですが、この中には、薬師如来像や十一面観音像などの仏像が残されています。
今回特別に許可を頂いたので、カメラと一緒に中に入ってみたいと思います。
 
薬師如来像
中心にあるのが、薬師如来像です。ご覧のように、実にふっくらとしたやさしいお姿をしておられます。あらゆる病気やケガ、悩みごとを癒してくださるような気がします。
両脇に、日光菩薩と月光菩薩像が立っておられます。
それからこれは千手観音、十一面観音、四天王像などが並んでいます。これら12体は、現在、国の重要文化財に指定されています。

これらの仏像を作ったのが、この地に住んでいた地元の仏師が作ったのか、あるいは京都方面から著名な仏師が来て作ったのか分かりませんが、いずれにしても、京都から遠く離れたこの山間の地に、これだけ優れた仏像群が残っているというのは、大変に珍しいことだと思いますし、それだけ巨大な勢力を持った豪族がこの地にいたということでしょう。
ぜひ皆さんもこの古保利薬師にお出かけください。この収蔵庫の裏には、5世紀か6世紀ごろの古墳群もありますので、併せて一緒にご覧ください。
ここに来るには、千代田インターで降りて、国道を大朝方面に向かってください。最初の交差点を右に曲がればすぐです。

毎週月曜日休館 大人300円(200円) 高校生100円(50円) 小・中学生無料
※( )は10名以上の団体

城岩

城岩地図
出典:国土地理院ウェブサイト
※この地図は国土地理院発行の電子地形図(タイル)を加工したものである。
私は今、北広島町雄鹿原の中祖会館の前に来ています。
これからここ雄鹿原にある城岩という岩をめざします。
まずここまで来る方法ですが、広島方面からだといくつかの方法があります。
分かり易いのは、戸河内インターで降りて、国道191号線を北上します。松原に来たら、国道191から県道11号に入ります。約30分で国道186号線に出ます。そこを左折して3分ほどでこの雄鹿原郵便局前まで来ます。戸河内インターから約30分かかります。
さて、ここから城岩をめざしますが、この先で国道から左折します。

城岩 登り口
中祖会館から歩いて20分ほどで、城岩の登り口に着きます。そこを左折して登ります。

車でも上がれるのですが、健康のために、ここに車を止めて歩きます。

城岩に着きました。
縦横10m四方くらい、大変に大きな岩があります。梯子があるので、登ってみます。
ここから見ると、雄鹿原の全景が見えます。

栗福合戦図絵:佐々木和正)
かつて、この地では、中世に栗福合戦という戦いが行われた戦場です。
栗福合戦というのは、戸河内の栗栖権之頭(くりすごんのかみ)と石見の福屋杢之丞(ふくやもくのじょう)が戦った合戦です。栗栖と福屋の頭文字をとって、栗福合戦と呼ばれています。結果は福屋が勝ち、栗栖が負けたとされていますが、その栗栖権之頭はここ城岩に陣を敷きました。

城岩 頂上
地元では、そのときの戦いを元にした祭り『乙九日炎の祭典(おとくんちほのおのさいてん)』が毎年9月の第4土曜日に開催されています。ただ、コロナの関係でここ2年程は中止されましたが、今年はどうするのかまだ決まっていません。
ぜひ、この城岩を訪れてかつての古戦場跡を眺めてみてください。

龍頭山(2)

駒ヶ滝

前回の続きです。今回は,駒ケ滝(こまがたき)から龍頭山の頂上まで登ります。
では出発します。

黒滝
ここは黒滝(くろだき)と言います。ごらんのように、普段は岩の間からぽつりぽつりと水が染み出ているだけの、滝とも言えない、ただの黒い岩ですが、実は冬場の寒い日になると、様相が一転します。この少しずつ染み出ている水が、全部凍って氷の滝が出現します。
では頂上に向かって出発します。

龍頭山頂上
頂上に来ました。駒ケ滝から約1時間かかりました。しかし、ここは、360度ほぼ眺望の開けた大変に見晴らしのいい山です。遠くに中国山地の山々、眼下には豊平の田園風景が広がります。天気さえ良ければ、瀬戸内海に浮かぶ厳島、似島まで見ることができます。
前回も言いましたが、下から歩いて登ると、だいたい2時間くらいかかりますが、車で頂上付近の駐車場まで来ることもできます。それだと20分くらいで頂上に登ることができますので、ぜひ龍頭山に登ってみてください。

龍頭山(1)

豊平どんぐり村

豊平地域の「道の駅 豊平どんぐり村」に来ています。
ここに来るのには、中国自動車道の広島北インターで降りて、国道261号線を北上します。途中、鈴張で国道261号から県道40号に代わります。広島北インターからだと車で20分くらいで着きます。
豊平はそばの里としても有名ですが、向こうに見える龍頭山(りゅうずやま)も、この地域を代表する山です。
龍頭山の高さは928.4m 『苦にはしない』と覚えてください。
ここに登るには、いくつかのルートがあります。下から歩いて登ると、だいたい2時間くらいかかります。中ほどにある滝の上駐車場からでも1時間くらいかかります。ただ車道が整備されていますので、頂上付近の駐車場まで車で登ることもできます。それだと20分くらいで頂上に登ることができます。
山の中腹に駒ケ滝(こまがたき)という滝がありますので、今回は、そこまで登ります。では出発します。
駒ケ滝に来ました。

都志見往来日記・同諸勝図
資料提供:広島市立中央図書館(浅野文庫)
江戸時代、寛政9年(1797年)に、広島藩の絵師、岡岷山(一般には「おかみんざん」と呼ぶが、「おかびんざん」という説もあり)という人が、広島城下からこの滝を見に来て帰るまでの道中を絵日記にまとめています。それが『都志見往来日記・同諸勝図(つしみおうらいにっき・どうしょしょうず』と呼ばれているものです。
これが、岡岷山の描いた駒ケ滝の絵です。当時は、今と違い、簾のように横に幅広く広がって落ちていたようです。周囲の木も、今ほど大きくなかったようです。
滝壺の下に観音さまがあります。上から落ちて来る水を上手に避ければ行くことができます。
皆さんもぜひ駒ケ滝までお出かけください。

テングシデ

テングシデ 地図
出典:国土地理院ウェブサイト

第一回目は、北広島町大朝地域にある『テングシデ』です。
ちょっとこの地図を見てください。
テングシデに行くには、中国自動車道から浜田自動車道に入り、最初のインターの「大朝」でおります。降りてから国道ではなく、左折して県道を大朝方面に向かいます。
大朝の『わさ大橋』を渡った交差点を左折して田原方面に向かいます。

テングシデ
提供:北広島町観光協会

これがテングシデの群生地です。
これはイヌシデという植物が群生しているのですが、どういうわけかここにあるイヌシデだけは、全部の木の枝がこのようにくねくねと曲がりくねっています。そのためにテングシデと言われています。
ここには大小合わせて約100本のイヌシデがありますが、なぜか全部このように曲がりくねっています。大変に不思議なので、現在国の天然記念物に指定されています。
ここを訪れるのは、どの時期もいいのですが、特におすすめしたいのは春の新緑のシーズン、それから少し雪を冠った冬のテングシデも大変に美しい風景です。

テングシデ 雪
提供:北広島町観光協会

それとこれが大切なことなのですが、運が良ければ、この曲がった木と木が作る空間にハートの形がみつかることがあります。それを一つでも見つけると恋愛が成就するパワースポットとされています。特に8個見つけると、8を横にすると無限になるので、愛が永遠に続くといいます。ぜひ、ここに来られて実際にお試しください。

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お問い合わせ

北広島町まちづくりセンター (旧:千代田地域づくりセンター) 電話 : 050-5812-2249
大朝地域づくりセンター 
電話 : 050-5812-3025
豊平地域づくりセンター  電話 : 050-5812-4020
芸北文化ホール 電話 : 050-5812-2070