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きたひろエコ・ミュージアム 街道をゆく 番外編2

印刷用ページを表示する更新日:2020年11月21日更新

3月からきたひろエコ・ミュージアム「街道をゆく」の番外編を作って放送しています。
「街道をゆく」本編の方は、昔の街道と、そこにまつわる歴史や民俗を解説しながら紹介します。
それに対し番外編の方は、あまり人に知られていない山、川、滝などを紹介します。出来るだけ解説部分は短くし、カメラ視線で現場に至るまでの道筋を紹介します。

「きたひろエコ・ミュージアム」はこちらをご覧ください。

ほとけばら遊園(大朝地区)

ほとけばら遊園

 今回は、大朝地域間所にある「ほとけばら遊園」に来ました。

 この「ほとけばら遊園」というのは、元々、この近くに住んでいたある方が、お一人で作られたものです。石段を一つずつ積み上げ、紅葉の苗を一本ずつ持ってきて植え、仏像なども一基ずつ据えて、こうした紅葉の美しい公園として整備されました。約40年かけて作り上げられたといいます。

ところで、民俗学者として有名な宮本常一は周防大島の出身ですが、この公園を作られた方とは縁戚関係にあたり、度々この地を訪れています。

宮本の初期の代表作の『村里を行く』にも、ここに泊まって見聞きしたことが書かれています。その一部を紹介します。昭和14年頃の大朝の風景です。

(前略)大朝の町もまた出羽田所の盆地と大してかはらぬ景觀の地だが、唯北に寒曳山といふやや形のととのった圓錐の山を控えて風景を引き締めている。そしてこの町は廣島から濱田への省営バスも通って交通も便利である。ささやかな町だけれども山の港といった感が深い。
(中略)
大朝について四日目、即ち十一月二十六日の夕方、こわれた時計をなおしに町まで出た。町へは十町ほどもあらうか、雪のぬかるんだ道を歩いて行くと白い田甫に眞黒になって烏が下りている。何となくなつかしくてホウホウと追って見た。すると烏の群れはどっとたって、雪が晴れて靑くすんだ夕の空へ舞上ってカアカアと鳴いた。私の故郷にもこの鳥が多かったが、近頃殆ど見かけなくなってしまった。(後略)

引用: 『村里を行く』(発行:三國書房) 224・225頁
※ 十町とは約1km

この公園は、私有地ですが、一般公開されていますので、誰でも楽しむことができます。

紅葉の美しい時期(10月終わりから11月の初め頃)に、ぜひ多くの人たちに訪れてほしいと思います。

 

加計山 (大朝地域)

今回は、大朝地域の茅原(かいわら)から出発して、大朝地域と豊平地域の境にある加計山(標高782m)に登ります。
写真は、大朝の町から見える加計山です。頂上にアンテナが数本見えます

大朝地域内から望む加計山

この地図を見てください。
これは、江戸時代に、伊能忠敬の測量隊の別動隊が、文化8年(1811)と文化10年(1813)の二回、この地を測量した資料を元に、描かれた大朝地域の地図です。
赤枠が伊能図に書かれている山の名前で、青枠が現在呼ばれている山の名前です。

大朝地域の古地図
出典:国土地理院ウェブサイト


ここに、寒曳山と、加計山、それに雉子の目山が描かれています。伊能図というのは道の方向や距離は正確ですが、山の位置や名前はかなりいい加減です。山を調べるのは目的ではなかったということでしょう。山の名前の表記も今日とはずいぶん違います。雉子の目山(木地面山)に至っては、二つも描かれています。
また加計山には、大蛇(おろち)伝説があります。だいたい、大蛇伝説の残る山というのは、その昔、大きな土石流災害の起きたところに多いようですが、この山がそうだったかどうかは知りません。

加計山眺望_大朝方面 加計山の眺望 
頂上に上がると、新庄から大朝、大塚、田原、筏津と、大朝地域のほぼ全域がよく見えます。正面には、大朝地域を代表する寒曳山が見えます。
この加計山には、アンテナが建てられているために、その保守・点検のための管理道が整備されています。頂上まで、車で上がることもできますから、ぜひ一度登ってみてください。

撮影の様子

(撮影小話)
今回、アンテナ直下の撮影です。もし不都合が起きたらいけないので、無線マイクを使わずに、有線マイクを使いました。そうしたら長い線があちこちに引っ掛かってまともに歩けません。かといって線を手に持って歩くわけにもいかず、結局、何度も何度も取り直しになりました。写真は足にまとわりつくマイクの線に苦労している筆者です。

高嶺城 (千代田地域)

今回は、以前放送した番組(第二回目「壬生城」)で、間違ったことをお伝えしましたので、訂正をしてお詫びします。
千代田地域の壬生城を紹介した時に、「壬生城は別の名前を高嶺城ともいう」と説明しました。
(ホームページでは既に訂正済)
しかし、その後、いろいろと調べていましたら、二つの城は全く別の城であることが分かりました。

壬生城と高嶺城の位置
出典:国土地理院ウェブサイト
※ この地図は、国土地理院発行の電子地形図(タイル)を複製したものである。

壬生の街にあるのが壬生城で、そこから約700m北に行った梅ノ木という所にあるのが高嶺城です。ちょうど運動公園から出た道と、県道69号線とが交わる辺りにあります。

壬生城 高嶺城

萩藩閥閲録の背表紙 萩藩閥閲録の文書抜粋
出典: 『萩藩閥閲録』(山口県文書館所蔵)背表紙と37頁一部抜粋


では高嶺城の城主は誰かといいますと、『萩藩閥閲録』第三巻の中に、井上元光という人が、天文20年12月21日に毛利元就から、「芸州高ノ峯城預成され」と書かれています。ここに書かれている芸州高ノ峯城というのが、この高嶺城のようです。
高嶺城一帯は私有地なので、今回は持ち主の許可をいただいて取材させてもらいました。
頂上は、木が茂っていて周囲が見えにくいのですが、もしこの木がなかったら、ここから、壬生、川西、川東方面が一望できる絶好の場所です。あまり大きな城ではなかったようですが、位置的にはここらあたり全体が見通せる、攻防の要所だったことがよく分かります。

高嶺城跡の写真

今回は、壬生城と高嶺城は別の城であることを確認する旅でした。間違ったことをお伝えしたことをお詫びします。

大丸峯(豊平地域)

今回は、豊平地域、長笹にある大丸峯に登ります。標高778mの山ですからそれほど高い山ではありませんが、登り口の標高が380mですから、比高は400mくらいになります。結構、登るのがしんどい山です。ちなみに、標高というのは海面からの高さ、比高というのは登り口からの高さです。

国郡志長笹村に「大丸峯 一名小芙蓉とも申候」と書かれています。

国郡志長笹の画像 
出典:『国郡志御用ニ付下調べ書出帖』 長笹村 一部抜粋

芙蓉というのは、富士山のことですから、小芙蓉というのは富士山によく似た山という意味です。
確かに、遠くから見ると円錐形の美しい山です。
下の写真は、吉木簾から見た大丸峯です。大丸峯は中央に見えます。

吉木 簾峠から見る大丸峯

登り始めて20分くらいのところに、「米軍機風防落下地点」という小さな立札があります。
風防落下地点の立札
今から46年前の、昭和49年7月2日の中国新聞記事に米軍機風防落下事故のことが書かれています。記事を見ますと、2メーターくらいの大きな風防が、この場所に落下してきたようです。民家にも近い所ですから大変に危ない話です。また、米軍機もこんなものを落としたまま飛んで、よく墜落しなかったものだと思います。

休み休み歩き、約1時間半かけ頂上に登りました。周辺の木が伐採してあるので、頂上からは東側の風景がよく見えます。

大丸峰からの眺望

すぐ麓に長笹の里が見えます。遠くには豊平、千代田、広島市方面の山、龍頭山、野々志山、城山、猿喰山、海見山、堂床山、牛頭山などが一望できます。
皆さんもぜひ、大丸峯に登ってみてください。秋の紅葉シーズンがベストかと思います。

 


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