『煮ごめ』は、広島県内全般で広く作られる郷土料理です。
広島県は、『安芸門徒』と言われるくらいに浄土真宗の盛んな土地柄ですが、この『煮ごめ』は、浄土真宗と関係の深い精進料理の一つです。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、鎌倉時代初期の人で、1262年11月28日に京都で亡くなられました。この日を新暦に直しますと、翌1263年1月16日にあたります。したがって、今ではこの1月16日を西本願寺派の寺では親鸞聖人の命日としています。(東本願寺派では、旧暦の11月28日を命日にしています。)
この親鸞聖人の命日の前日、つまり1月15日を(御逮夜・おたんや)といって、この日から17日までの三日間、肉や魚介類などを食べずに精進料理を食べました。
大根、人参、れんこん、里芋、牛蒡、こんにゃく、などを細かく刻み、それに小豆を加えて煮た料理を食べて、体が温まったところで寺へお参りに行くのが安芸門徒の習わしだったようです。この料理を『煮ごめ』といいます。親鸞聖人は小豆が大好物だったとかで、『煮ごめ』には、必ず小豆を加えるようになったと言われます。
ところで、この写真は、最近、北広島町教育委員会に寄託された、千代田地域今田の、ある農家から出てきた日記帳です。これは大正11年1月15日の記述です。
ここに大変、興味深い記述があります。
本日ノ夜始メテ電気燈 点火セラル十燭光二ツ
と書いてあります。つまりこの記述から、千代田地域の今田で初めて電気がついたのは、大正11年1月15日だったことが分かります。
それはさておき、そのとなりに
夜、お逮夜休業ス 午前二時迠御番ス
と書いてあります。つまり、この日は、夜なべ仕事などは休んで、お寺に参り、午前2時頃までお寺でお勤めしていたということです。
お逮夜の日は、広島では漁師さんも漁に出かけませんでした。そのために広島ではこの日は、漁師さんだけでなく、魚市場も、町の魚屋さんも全部休業していました。この日は、殺生をしないという意味もありますが、かりに無理して漁に出ても、魚はまったく売れなかったでしょうから、休業もやむをえなかったでしょう。
今では信じられないような話ですが、これは江戸時代から続いていた広島独特の風習で、これを「おたんやの市止まり」といいました。この「おたんやの市止まり」が無くなったのは、平成8年のことですから、今から20年ほど前のことです。
ところで、煮ごめ料理は、写真のような漆の器に入れられることが多かったようです。これは『太平』とか『八寸』と呼ばれるものです。
『八寸』というのは長さで、一寸が3cmですから、24cmという意味です。
それが直径24cmくらいの大きさの容器をさすようになり、さらにはそれに入れた料理名になりました。今、広島で『八寸』というと、『煮ごめ』によく似ていますが、魚貝類や鳥肉なども加えて一緒に煮た『ごった煮』のことを『八寸』と呼ぶようです。
長さの単位が、料理の名前に変化したというのも面白い話です。
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