令和元年10月25日、今年度2回目のきたひろディープを開催しました。
今回のきたひろディープは、芸北地域の樽床周辺をめぐりました。今回は、紅葉の一番美しい時期をねらって計画しました。前日の天気予報も悪くはなかったのですが、現地は残念ながら小雨の降りしきる悪天候になり、計画の一部を変更せざるを得ませんでした。
まず、芸北文化ホールで事前学習をしました。
センター長が
(1) 昭和32年にダムの底に沈んだ樽床集落
(2) 昭和36年末に聖山付近で起きたA高校山岳部遭難事件
の二点について、約1時間講話をしました。
その後は、場所を樽床に移し、今年8月にリニューアルオープンしたばかりの樽床民家「清水庵」で昼食休憩を取りました。
清水庵は、ダムの底に沈んだ樽床にあった民家です。沈む前、樽床には73戸の家と388人の生活がありました。清水家はその内の一軒ですが、樽床独特の建築様式「中門造り」を原形のまま残しているので、ダム湖を見下ろす丘に移築保存されました。この建物は、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
教育委員会から、「たとえ重要文化財でも、しっかり囲炉裏で火を焚いてほしい。古い民家は、囲炉裏の煙でいぶされることによって丈夫になり、命が吹き込まれる」と言われたので、今回、囲炉裏に火を入れさせてもらいました。
火が燃えだすと、参加者の中には昔を懐かしがる人がたくさんおられました。ここらあたりで囲炉裏が消えるのは、昭和30年代です。逆算すると、懐かしがる人たちは60代の後半以上の世代でしょうか。しかし、囲炉裏を全く知らない世代も、ゆらゆらと燃える火に魅入られるように囲炉裏の傍に集まりました。囲炉裏の火は、年齢に関係なく、日本人の原初的な感覚を覚醒させるようです。
その後、北広島町教育委員会の学芸員さんから清水庵復元の解説を受けました。
江戸時代から続いている清水家は、当然のことですが、その後何度も建て替えや修理がなされています。その度に、部屋の間取りも少しずつ変わっています。そこで「何年前の清水家に復元するのか?」が最初の問題だったそうです。議論の末、結局、大正時代の清水家に復元したという話は大変に興味深いものでした。
天候さえよかったら、紅葉の中、三段峡の三ツ滝まで下りてみようと思っていましたが、雨で足元が滑る危険があるので、聖山の麓に建つA高校山岳部遭難碑に行きました。A高校山岳部遭難事故は、昭和36年の暮れに起きた痛ましい事故で、一人の高校生が亡くなりました。この日の雨は、その遭難事故に関わった人たちの哀しみの涙かもしれません。
しかし、この事故は、その翌年の八幡を孤立させた豪雪の時と、さらにその翌年の芸北全体を孤立させたいわゆる「38豪雪」の時、米軍の救援活動につながります。
『きたひろディープ』は、北広島町のことをより詳しく、より深く知り、そこからこれからの北広島を考えるきっかけにつなげようというものです。雨天は残念でしたが、その分、見学や解説に十分に時間をとることができ、いろいろなことを考えさせられた『きたひろディープ』になりました。
千代田地域づくりセンター (旧:千代田中央公民館) 電話:050-5812-2249