今回の「きたひろの昔話」は、大朝地域新庄の可愛川に「牛の子淵」とよばれる淵のおはなしです。
ここでは、水路を掘って、荒地を水田に変えたという話が残っています。その工事は大変な難工事で、多くの犠牲者が出ました。そこで、人柱を立てることになり、人柱にされそうになった娘さんに変わって子牛が犠牲になったという伝説が伝わっています。
昭和33年発行された『大朝町の展望』という冊子の中にその話が紹介されています。最初の部分だけを紹介します。
時は十五世紀の末、応仁の乱後の全国的な土一揆が頻発している時、新庄辺の百姓も又、打続く飢饑の為に塗炭の苦しみにあえいでいた。
吉川氏の重臣、土居忠佐衛門の邸宅は、当時龍山神社の南麓にあったが、今で言う土居の地は水利に恵まれず、竹藪や草地が続いていた。(以下略)
引用:『大朝町の展望』(発行:中国観光地誌社) 47頁
この話を元に、地元の人たちが紙芝居を作りました。その紙芝居を聞いてみたいと思います。
うしのこぶち [PDFファイル/265KB]
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