きたひろエコ・ミュージアム、今回はきたひろの昔話です。
以前、街道をゆく番外編で、千代田地域の丁と保余原の間にある、上都倉観音(うわつぐらかんのん)に登ったことがあります。
その時の最後に、保余原で見つかった「三耳壺(さんじこ)」と呼ばれる古い古備前の壺を紹介しました。
今回の昔話は、その三耳壺にまつわる伝説です。
三耳の壺 [PDFファイル/1.34MB]
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さて、このお話はここまでなのですが、何か物足りなさというか、わからない謎が残ります。それは、あの壺の中に入っていた、泥のようなものはいったい何だったのでしょう。水に流すと血のように真っ赤になるものとは?
これは想像ですが、もしかしたら、それはベンガラか、もしくは水銀だったかもしれません。古代、赤色を出す方法は、ベンガラと呼ばれる酸化鉄か。もう一つは、丹生(にう)と呼ばれる水銀でした。
ベンガラは酸化鉄なので、たたら製鉄の盛んな中国山地では出てくるところがあります。また壬生地区は、古代において水銀を産出したという言い伝えがあり、壬生の語源は丹生だともいわれます。ですから、どちらの可能性もあります。
ベンガラにしても、丹生にしても、古代においては、それは大変な高値で取引される貴重品でした。
観音様の言葉に嘘はなかったのかもしれません。おじいさんとおばあさんが、中の泥のようなものを川に捨てずに売ったら、二人は大金持ちになっていたかもしれません。
ただ、どうでしょう?もしこの二人が急に金持ちになったら、この二人には何か別の禍が生じたような気がします。
金持ちになれなかったからこそ二人は幸せに暮らしたのではないでしょうか。
さて二人が大切に持ち帰った壺は、今も地元で大切にされ、上都倉観音に奉納されています。この壺は、今から数百年前に作られた古備前の『三耳壺』と鑑定されました。これはこれで、いわゆる「お宝」です。
もしかしたら観音様がくれた宝物というのは、この壺の方だったのかもしれません。
今回は、保余原で見つかった「三耳壺」にまつわる話でした。