今年は、芸北地域才乙と大暮、それに島根県の市木に跨る天狗石山(標高1192m)に登りました。スタッフを含めて総勢14人です。紅葉を期待して出かけたのですが、今年は比較的に暖かいせいか、紅葉には少し早い感じでした。
それでも、ブナ林の白い幹と黄色い葉のコントラストがシルエットのように浮かび上がります。足下の道には、マツムシソウやリンドウの紫の花、アキノキリンソウの黄色い花などが咲いています。花を踏まないように注意して歩きました。
名前の分からない大きな茸もたくさん生えていました。「大きいねぇ、食べられるんかのぅ?」「こりゃぁたいてい毒ナバでえ」などとにぎやかです。ガマズミやマユミの赤い実も美しく迎えてくれました。
後にスタッフの感想だと、ここ何年か続けてきた「きたひろDeep」の中でも、今回が一番しんどかったということです。確かに、才乙の来尾峠側から登ったのですが、登り始めにある急坂では、みんな息を切らしていました。
しかしその難所を越えれば、あとは比較的になだらかな登り道が続きます。途中の尾根からはサイオトスキー場のある高杉山、下方に才乙の集落、里を挟んで中野冠山、が大パノラマとなって見えます(写真左)。正面にはこれから登る天狗石山がその雄大な姿を見せ始めます。※ 天狗石山は才乙の麓からは見えません。
ブナ林と、天狗石山の語源になったのであろう巨石群(写真中)を抜けるといよいよ山頂。登り始めて約1時間50分要しました。慣れている人だと1時間20分くらいのコースですが、今回参加してくれた14人の中には、男性も女性も、若い人も高齢者も、山歩きに慣れている人もそうでない人もさまざまです。全員が、安全に、かつ景色を楽しみながらの登山なのでこれくらいのペースでちょうど良かったと思っています。
幸い秋晴れだったので、頂上からは島根県側の三瓶山、大江高山などがよく見えました。あれは日本海かなと思える水平線もかすかに見えましたが雲と同化してはっきりと確認はできませんでした。(写真右)
昼食後の帰り道は、来たコースの途中から高杉山方面に下り、スキー場の駐車場へ直接降りるルートを選びました。このルートを選んだのは急坂を降りる危険を避けるためでもありますが、もう一つの目的もありました。それは天狗石山と高杉山の中間にある乳母御前神社(うばごぜんじんじゃ)を紹介したかったからです。
偶然ですが、天狗石山の標高は1192m、鎌倉幕府の成立は1192年(と教えられてきました)です。「イイクニ(1192)作ろう鎌倉幕府」と覚えた人もたくさんおられることでしょう。最近では、それよりも7年前の1185年、壇ノ浦で平家が敗れ、源頼朝が全国に守護・地頭を置いた年をもって鎌倉幕府の成立とみなすようです。今の子どもたちは「イイハコ(1185)作ろう鎌倉幕府」と覚えるのだとか。
それはともかく、壇ノ浦で敗れた平家は、まだ幼少だった安徳天皇を、祖母の二位の尼がしっかりと抱き抱え、「波の下にも都がございます」と言って船上から海に入水するのは平家物語の中でも最も悲しい場面です。しかし、実は二位の尼も安徳天皇も生きて山中に逃れたという伝説は全国各地に、それも西日本にはかなり広くあります。この乳母御前神社もその一つです。
この場所で二位の尼が機織りをしながらひっそりと生活していた。機を織ると、杼(ひ)とか梭(さい)と呼ばれる道具が発するカタン、コトンという音がしますが、その梭(さい)の音(おと)が里の方まで聞こえてきたというので、「さいのおと」「梭音」「才乙」となったという伝説も紹介しました。
もちろん伝説ですが、こういう伝説にはロマンを感じます。悲劇の主人公に対する民衆の同情心や哀惜心がこういう伝説を生み出すのでしょう。
乳母御前神社を過ぎると林道に出ます。林道は車も通れる道幅があります。
今回はサイオトスキー場、それから地元の森林組合の全面的な協力をいただき、普段は通行止めにしてある林道を開けていただいたり、駐車場やトイレはスキー場の施設を利用させていただいたりしました。本当にありがとうございました。おかげさまで楽しく思い出に残るきたひろDeepになりました。
ということで、2時30分ごろには、全員怪我もなく、無事に駐車場まで降りてきました。10時頃に登り始めましたから、昼休憩も含めて4時間30分の登山でした。心地よい汗をかき、美しい風景や植物と出会い、暖かな秋日和と日陰に入るとちょっぴりひんやりする涼しさも味わい大変に有意義な一日でした。体も心もリフレッシュして健康になったような気がします。来年もぜひやりたいと思っています。
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