江戸時代に書かれた『国郡志御用ニ付下調べ書出帖 今吉田村』の中に,今吉田村から土橋村を通って島根県の柚根に出るのが,浜田へ行く一番の近道だと書かれています。
国郡志御用ニ付下調べ書出帖 今吉田村の抜粋文
江戸時代,山県郡内には74の村がありました。そのうち北広島町には64の村がありました。今吉田村は,山県郡の南側の端に位置します。一方,土橋村は,山県郡の北側の端に位置します。この今吉田から土橋まで行き,さらにここから雲月山(うんげつざん)を迂回して石見国の柚(湯)根に出るのが,浜田への一番近道だそうです。
「千代田町史 近世資料編(上)」(千代田町役場)107頁より引用 ※一部加筆
「国郡志御用ニ付下調べ書出帖 今吉田村」には,今吉田村から土橋村まで,12の地名が書かれています。(図)
1. 今吉田村
2. 吉木村
3. 都志見村
4. 戸谷村之内小戸谷
5. 溝口村
6. 戸河内村之内畑ケ谷
7. 細見村
8. 奥中原村之内板村
9. 大利原村
10. 南門原村
11. 奥原村
12. 土橋村
今の地図では,出てこない地名もありますので,そのルートを,昭和8年発行の古い地図で確認してみると,以下ようになります。
昭和8年発行 山縣郡の地図
こうしてみると今吉田村から,土橋村まで,山縣郡内を斜めに,ほぼ一直線に進んでいることがよくわかります。