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無形民俗文化財

印刷用ページを表示する更新日:2021年2月18日更新

▼ 国指定

安芸のはやし田

壬生の花田植

▼ 県指定

火の山おどり

小原大元神楽

南条おどり

神楽―神降ろし・八岐大蛇・天の岩戸―

花笠おどり

▼ 町指定

細見の餅つき唄

上石神楽団の天の岩戸

西宗神楽団の鐘馗

中原神楽団の大江山

琴庄神楽団の鐘馗

戸谷神楽団の神迎え

龍南神楽団の大江山

今吉田神楽団の四方祓(潮祓い)

阿坂神楽団の天の岩戸

原東花田植

八重管弦祭

上川戸虫送り踊り

砂庭神楽団の長髄彦征伐

 

安芸のはやし田

あきのはやしだ

 安芸のはやし田は、田植時の休日に,定められた田圃で執り行われている。飾り牛が一列縦隊となり田圃内を踏み歩く「代掻き」、田面を平らにならす「えぶり」、早乙女や楽器奏者などの一行が田圃に行進してくる「道行き」、さんばい棚と呼ばれる祭壇の前での「田の神降しの神事」・「苗取」・「田植」と進められる。行事の中心となる「田植」は、早乙女達が後下がりで苗を植えて行く。その際、早乙女達に面して立ったさんばい(歌大工ともいう)と早乙女との間で歌が掛け合わされる。早乙女達の後方では、大太鼓・小太鼓・鉦などの楽器の奏者が盛んに囃したてる

指定年月日

平成9年(1997)12月15日

公開状況

北広島町:5月の第2日曜日(鳴滝渓谷入口)
安芸高田市:5月最終日曜日(来原小学校前水田)

安芸のはやし田拡大画像

壬生の花田植

みぶのはなだうえ

 中国山地の村々で古くから行われてきた囃子を伴う共同の田植行事で、はやし田とも言う。まず、田の神サンバイを迎えて、美しく飾った十数頭の花牛によって、鶴の巣ごもりや八重だすきなどの代掻(しろかき)の技が展開される。サンバイはささら竹を打ち鳴らしながら音頭をとり、大太鼓・小太鼓・手打鉦(てうちがね)、笛などではやしたて、早乙女は田植歌を歌い苗をさす。田植歌は歌謡史上からも注目される。

指定年月日

無形民俗文化財指定:昭和51年(1976)5月4日
ユネスコ無形文化遺産指定:平成23年(2011)11月27日

公開状況

毎年6月第1日曜日(壬生の花田植特設ほ場)

壬生の花田植1壬生の花田植2

火の山おどり

ひのやまおどり

 おどりの起源は,天正年間(1573~1591)の吉川元春(きっかわもとはる)の伯耆羽衣石(ほうきうえいし)城主南条氏攻めに関係づけられているが、確証はない。
 一名太鼓おどりともいい、盆の14日・15日の夜、ならびに慶事のときに踊られていた。
 現在は昼間に踊られているが、本来は夜に踊る燈籠踊である。中央に大庭笠を立てたおどり場で、庭入り・庭ほめ・太鼓おどりの順で行われ、造花で飾った小笠をつけたおどり手の間に、直径六尺もある笠が立ち、その間にあんどんをとぼした大笠がまじり、「ざめき」「もろびょうし」「片びょうし」「からびょうし」「はしり」などの歌詞を歌いながら踊る。その姿や火の動きはひとしお美しかったという。

指定年月日

昭和37年(1962)3月29日

公開状況

非公開

火の山おどり拡大画像

小原大元神楽

こばらおおもとかぐら

 大元神楽は、もと出雲西南部から石見一円、さらに周防の玖珂郡にかけて広く行われていた。神がかりの古態を存し、備北の荒神神楽と類似した面を持つ。小原大元神楽は、大字小原地区で7年毎に行われる式年祭の夜、この地の大歳神社に奉納される藁の太網を中心に行われる神楽である。

指定年月日

昭和61年(1986)2月27日

公開状況

非公開

小原大元神楽1小原大元神楽2

南条おどり

なんじょうおどり

 この踊りは、所伝によると天正6年(1578)吉川元春が伯耆羽衣石城の南条元続を攻めた時、元続の踊り好きを利用し部下を踊り子に変装させ奇襲して攻略したことに由来するとも、この戦で捕えた南条方の武士が戦死者の菩提を葬うため踊った盆踊りを、警護の吉川方の武士が習い憶え、新庄に伝えたともいう。
 この踊りには入端と出端があり、十二庭の歌詞を伴う虫送踊り(むしおくりおどり)で実盛人形が出るのもそのためである。古くは7月13日に神社の境内で虫送りの行事を行ったあと踊られており、陣笠に火事羽織を着用して勇ましく踊るものである。

指定年月日

昭和28年(1953)10月20日

公開状況

不定期公開

南条おどり拡大画像

神楽-神降し・八岐の大蛇・天の岩戸-

かぐら―かみおろし・やまたのおろち・あまのいわと―

 10月の有田八幡神社祭礼に奉納されるこの神楽は、同町壬生の神職井上氏が文化年間(1804~1817)に石見から伝えたと言われ、六拍子風のテンポの緩い古雅な舞いである。伝来当初は四十数舞が演ぜられたというが現在は十数舞が舞われている。
 この神楽の舞人および楽人はすべて有田八幡神社の氏子で、神楽団員になることは名誉と考えられているため、日頃から言動を慎み演技の習練もよく行われている。

指定年月日

昭和29年(1954)4月23日

公開状況

10月最終日曜日

神楽-神降し・八岐の大蛇・天の岩戸-拡大画像

花笠おどり

はながさおどり

 起源は大朝町新庄に残る南条踊りと同じであるが、確証はない。豊年の見通しのついた年の旧暦8月15日に旧本地村一円で行われるが、歌頭を先頭に太鼓・鉦(かね)・笛・おどり子二十~三十名が行列を作って道行し、神社や寺院の境内でおどる。
 踊り子は男子であるが、深い編笠とバシャリと称する布で面態をかくし、そろいのゆかた・女帯に赤いしごき・白の手甲・白足袋に雪駄という女装である。花で飾り長いしびを八方にたらしたみごとな大花笠をつけたおどり子が、緩調子でゆるやかに動くさまは万華鏡のように美しい。

指定年月日

県指定:昭和36年(1961)4月18日
国選択:昭和47年(1972)8月5日

公開状況

毎年6月第1日曜日(壬生の花田植特設ほ場)

花笠おどり拡大画像

細見の餅つき唄

ほそみのもちつきうた

指定年月日

平成17年(2005)1月17日

公開状況

非公開

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上石神楽団の天の岩戸

かみいしかぐらだんのあまのいわと

あらすじ:

須佐之男命の乱行に怒り給うた天照大神は、天の岩戸に閉じこめられた。その為高天原は暗闇となり、世の中は極度に乱れていた。これを憂えた天兜屋根命は天太玉命や他の神々と相談の末、天の岩戸の前に天の香具山の賢木を持ち来て色々な宝を飾り、天宇津女命に面白おかしく舞を舞わせ賑やかに楽を奏でたところ、何事かと岩戸を少し開かれたところを天手力男命が満身の力を込めて岩戸を押し開き、天照大神を岩戸より首尾良くお出し申し上げたので高天原も明るくなり世の中も良くなったという物語。

みどころ

これが神楽の原点と言われている神楽である。

指定年月日

昭和61年(1986)年9月24日

公開状況

10月第1土曜日

上石神楽団の天の岩戸拡大画像

西宗神楽団の鐘馗

にしむねかぐらだんのしょうき

あらすじ

須佐之男命の化身である鐘馗大臣が、民の命を根絶やしにしようと四百四病を司る大疫神を退治する物語で、輪は悪病祓いの茅の輪と言い、姿無き鬼をこれでとらえて剣で退治する。

みどころ

悪病祓いの茅の輪を巧みに操り、如何に意味を理解できるように舞い納めるかが、舞い手にとって最大の技の見せ所である。

指定年月日

昭和61年(1986)9月24日

公開状況

10月第1土曜日

西宗神楽団の鐘馗拡大画像

中原神楽団の大江山

なかばらかぐらだんのおおえやま

あらすじ

一条天皇の御代、丹波の国大江山に酒呑童子という悪鬼が多くの手下を従えて立てこもり、都や村里に出没して良民を苦しめるので、時の帝は当時都の警備の任に当たっていた源頼光ら四天王に悪鬼を鎮圧するようお命じになった。
四天王は山伏修行者に身をやつして難行の末岩屋に到着し、都の酒と偽り酒宴を張り、油断に乗じてこれを鎮圧するという物語である。

みどころ

この神楽は非常に登場人物が多く派手な舞いであるため、各神楽団が競って演舞する。酒宴もあり我々の人生模様がそのまま伝わって来るような親しみのある神楽である。

指定年月日

昭和61年(1986)9月24日

公開状況

10月第1土曜日

中原神楽団の大江山拡大画像

琴庄神楽団の鐘馗

きんしょうかぐらだんのしょうき

あらすじ

須佐之男命の化身である鐘馗大臣が、民の命を根絶やしにしようと四百四病を司る大疫神を退治する物語で、輪は悪病祓いの茅の輪と言い、姿無き鬼をこれでとらえて剣で退治する。

みどころ:

悪病祓いの茅の輪を巧みに操り、如何に意味を理解できるように舞い納めるかが、舞い手にとって最大の技の見せ所である。

指定年月日

昭和61年(1986)9月24日

公開状況

10月第1土曜日

琴庄神楽団の鐘馗拡大画像

戸谷神楽団の神迎え

とだにかぐらだんのかみむかえ

 儀式舞の中の一つで、神楽を奉納するに当たってこの舞台に神をお招きするという意味の舞である。氏子の人々が秋の収穫に当たってこれを氏神様に報告し、そして深慮を慰める一種の神聖な儀式だと信じられている。その意味において、先ず神楽殿に最初に神を勧請するのが儀式舞で神楽団としては一番大切に極めて神聖視しているのが、この舞である。
 又この舞は神楽のあらゆる舞法が取り入れてあり、神楽の基本だと言われている。従って神社以外の場所で神楽が上演される場合は「神降ろし」「神迎え」が舞われ、神の降臨を勧請するのが慣わしのようである。幣と輪鈴を四人がそれぞれの採物として舞う。

指定年月日

昭和61年(1986)9月24日

公開状況

10月第1土曜日

戸谷神楽団の神迎え拡大画像

龍南神楽団の大江山

りゅうなんかぐらだんのおおえやま

あらすじ

一条天皇の御代、丹波の国大江山に酒呑童子という悪鬼が多くの手下を従えて立てこもり、都や村里に出没して良民を苦しめるので、時の帝は当時都の警備の任に当たっていた源頼光ら四天王に悪鬼を鎮圧するようお命じになった。
四天王は山伏修行者に身をやつして難行の末岩屋に到着し、都の酒と偽り酒宴を張り、油断に乗じてこれを鎮圧するという物語である。

みどころ:

この神楽は非常に登場人物が多く派手な舞いなので、各神楽団が競って演舞する。酒宴もあり我々の人生模様がそのまま伝わって来るような親しみのある神楽である。

指定年月日

昭和61年(1986)9月24日

公開状況

10月第1土曜日

龍南神楽団の大江山拡大画像

今吉田神楽団の四方祓(潮祓い)

いまよしだかぐらだんのしほうはらい(しおはらい)

神楽を奉納するに当って、この神楽殿を清めるという意味において行なわれる舞である。

指定年月日

昭和61年(1986)9月24日

公開状況

10月第1土曜日

今吉田神楽団の四方祓拡大画像

阿坂神楽団の天の岩戸

あざかかぐらだんのあまのいわと

あらすじ

須佐之男命の乱行に怒り給うた天照大神は、天の岩戸に閉じこめられた。その為高天原は暗闇となり、世の中は極度に乱れていた。これを憂えた天兜屋根命は天太玉命や他の神々と相談の末、天の岩戸の前に天の香具山の賢木を持ち来て色々な宝を飾り、天宇津女命に面白おかしく舞を舞わせ賑やかに楽を奏でたところ、何事かと岩戸を少し開かれたところを天手力男命が満身の力を込めて岩戸を押し開き、天照大神を岩戸よりも首尾良くお出し申し上げたので高天原も明るくなり世の中も良くなったという物語である。

みどころ:

これが神楽の原点と言われている神楽である。

指定年月日

昭和61年(1986)9月24日

公開状況

10月第1土曜日

阿坂神楽団の天の岩戸拡大画像

原東花田植

はらひがしはなたうえ

原東花田植」は、毎年5月第3日曜日に行われる。美しく飾り立てた飾り牛が代掻(しろか)きを行い、賑やかな囃子に合わせて田植えを行って、その年の稲の豊作を祈願する行事である。
原東田ばやし保存会では「昔ながらの田植仕事を基本とした田植歌の調子を守り続けること」が重要視されている。町域では田植歌のテンポが速い田植囃子もあるなかで、ゆったりとした「原東花田植」の「六調子(ろくちょうし)」は、非常に特徴的である。

指定年月日

平成30(2018)年11月21日

公開状況

毎年5月第三日曜日

原東花田植

八重管弦絃祭

やえかんげんさい

「八重管絃祭」は、7月最終土曜日の夜、十日市・新地の旧道を管絃舟が練り歩く行事である。
祭りの形は道路開通・新市街地の形成などの中で変容と発展を遂げてきたが、背景には宮島厳島神社との歴史的なつながりがある。平安時代末期、有田を含む壬生(みぶの)荘(しょう)は厳島神社の荘園となった。「八重管絃祭」は、鎌倉期に厳島神社から分社したと伝えられる有田河本(こうもと)明神(みょうじん)の祭礼といわれており、この地域が古くから厳島神社と関係が深かったことを、祭礼の形で今日に伝えている。

指定年月日

平成30(2018)年11月21日

公開状況

毎年7月最終土曜日

八重管絃祭

上川戸虫送り踊り

 かみかわどむしおくりおどり

「上川戸の虫送り踊り」は、6月第一日曜日、稲に付く虫を払い豊穣を祈る行事で披露される踊りである。サネモリ人形を用いて歌い踊り、神社の境内で踊りを奉納した後、地区の中心を練り歩き、橋の上から人形を川に流すことで五穀豊穣を祈願する。
虫送りという、稲作にとって不可欠であった儀礼を現在に伝えているとともに、かつて町域一円で行なわれていた行事を保存・継承している数少ない事例である。

指定年月日

平成31(2019)年3月18日

公開状況

毎年6月第一日曜日

上川戸虫送り踊り

砂庭神楽団の長髄彦征伐

 さにわかぐらだんのながすねひこせいばつ

「長髄彦征伐」は、壬生神社の秋祭り前夜祭で奉納される神楽である。記紀神話の神武天皇大和平定を題材にした演目であり、昔ながらの型(壬生流)を受け継ぐ旧舞で、優雅で厳かな舞が特徴である。

この演目は壬生神社神職井上氏が創作されたといわれ、明治16年の「神楽舞詞帳」に記録されている。神職の神事舞から氏子の舞へと変化していく過渡期において、当地で創作された演目を、今日まで伝承する貴重な事例として、文化的に重要である。

指定年月日

令和3(2021)年2月18日

公開状況

毎年10月最終日曜日の前夜

長髄彦征伐